自然と人のまろやかなつながり、<でん六>のecomoyo

樹氷がシンボルの山形県は、雄大な大自然に恵まれた地域。その山形を代表する「でん六」は豆菓子の老舗メーカーである。社長の鈴木隆一氏はその3代目。樹氷の見える蔵王のふもとに工場をかまえ、豆という自然素材で商品ができる。自然から受ける恩恵を深く意識している。横顔のようなカタチの山形県にあって、でん六は人とのつながりをゆったりとした時間の中に織り込んでいる。でん六のecomoyoが山形らしく、まろやかに繊細に、ダイナミックな地方力で大きく広がっている。

雄大な奥羽山脈、朝日連峰がそびえる中、芭蕉の「おくのほそ道」にも詠まれた母なる川、最上川が県内をつらぬく。山形県は人の顔を横にしたような形の県だ。この地にどんな顔、どんなYamagata Mindが待っているだろう。そんな思いを胸に高速道路が山形県に入ると、山々の大パノラマに目を奪われる。四方八方、山しか見えない絶景は、人の気配を消し去るような雄々しさ。都市では想像できない自然のダイナミズムに圧倒されながら、向かった先は「山形にでん六あり」といわれる豆の老舗である。

自然から生まれ、豆菓子になる

大正13年創業の株式会社でん六は、「おこし」の製造にはじまり、昭和31年に発売した「でん六豆」が爆発的な人気となり、一躍全国に知られる存在になった。発売50周年を超える今も、節分になると、でん六豆が全国の店頭を飾り、各家庭に「鬼は外、福は内」と懐かしい声が響く。世界にハイテクの国と知られる日本にあって、古くから続くしきたりが今なお「現役」の理由は、〈豆〉という自然素材と〈人〉の交差するところに、でん六のフィロソフィがあるからだ。地元の風習、地域の人の思いをなによりも大事に思う経営者の心情には、地域貢献を第一と考える深い郷土愛があり、その先にはエコロジー思想がしっかりと根付いている。

でん六は山形県の会社である。単に山形県にある会社というだけではなく、山形県そのものの香りを放っている。地元・山形はもとより、全国にキャラクターを使ったプロモーション展開をするでん六の本社は、さぞかしポップでモダンなオフィスと想像して訪れた本社は、レトロなつくりで建物のそこかしこに創業者の意思が息づいていた。敷地を覆う落花生を焙煎する香ばしい香り。食品メーカーらしく、どこも清潔そのものだ。応接室は創業当時そのままといった雰囲気をたたえ、作りかけのテーブルや椅子が歴史を語っていた。

山形らしさが息づくでん六でありたい

やわらかな物腰に上品な笑顔で現れたのは、鈴木隆一社長である。おだやかで自然な語り口調、静かに、ときに強いリーダーの顔を覗かせながら言葉を重ねていく。

創業者は6番目に生まれた、鈴木傳六氏。昭和31年に発売した「でん六豆」が大ヒットし、その後社名も「でん六」になる。山形県から県外に販路を広げるため、仙台に拠点を構え、でん六豆を1店1店と増やしていき、いつしか東北一円に広がった。さらに、新潟、長野と販路を増やし、やがて東京に進出したとき、山形の営業が東京では受け入れられず、「東北の山猿は帰れ」と言われ、苦労したと聞く。東京のやりかたを知らず、東北の強気のやり方で押してきたが、東京の市場を知り、受け入れられるのは、しばらく後のことである。

じわじわと山形らしさにめざめて

地方で生まれた会社が大きくなると、本社を東京に移し、大きく成長することがある。けれど時にその過程で地方色が薄くなるケースがある。入社時は意識してなかったが、役員になる頃から、地域の特徴やよさを持ち続ける会社でありたいと願うようになっていった。それはでん六という会社が地域から受ける有形無形の恩恵を実感するようになったからだ。県民の方々に応援いただくことはもちろんだけど、会社で働く人たちにもお世話になっている。その気質はおだやかで、ねばり強い。この山形県人のよさは、県外に行くようになって、じわじわと実感するようになった。

株式会社でん六 代表取締役 鈴木隆一さん

初代が傳六、2代目が鈴木傳四郎。3代目だけ、「傳」の字がない。2代目の傳四郎社長は、隆々と会社が発展することを願っての隆一と命名したという。いかにも、代を重ねた企業経営者らしいエピソードだが、若い隆一社長には、このいきさつが重くのしかかるのである。

子供時代は自宅と工場が近く、「隆ちゃんは3代目だね」、隆一社長は工場のおじさん達にかわいがられて育った。その頃、父や母は、祖父・傳六元社長になにかときめ細かな気遣いを見せた。幼い時から祖父に叱られた記憶はないのに、周りの反応を敏感に感じていた。癇癪を起こすと思えば、また驚くほど上機嫌なこともある。厳しく、気難しい反面、やさしく人間味あふれる人物でもあった。家父長的な威厳のある祖父母、父母を見て育ち、また、工場の人たちに囲まれて暖かな環境で育った。当時、会社の人や親せきから「3代目」とよく言われたが、不思議と父母からは言われたことがない。子供心に、「社長というのはどんな仕事なんだろう、僕にできるだろうか」、人知れず不安を抱えていた。創業者で地元からも一目置かれる祖父、またそれを受け継ぎ、数々の功績を残した父…。3代目としてその責任を背負うことに不安だった。大学時代、親元を離れ、会社経営や祖父母、父母の置かれる立場を客観的にみるようになった頃、よーし、頑張ろうという気になった。思えば、山形県人のよさを感じた時期と重なる。じわじわと山形県人のねばり強さがめばえたのかもしれない。

突然、その日がやってきた。

仕事をするようになり、会社という重責への不安はあったものの、仕事に没頭するうち、あることに気づく。喜んで働くことの意味だ。働く喜びよりも、もっと能動的で前向きなニュアンスだ。社長は今も「喜働(きどう)」の精神が考えの中心にあるという。働くことは生きる意味と一体化してる。古えから受け継いできた日本文化の一部である。同じように人の関わりにおいても、古くから人という財産を尊重してきた。でん六にはそのスピリットが今も色濃く受け継がれている。

それは突然やってきた。代表取締役専務だったある日、先代社長の病気が発見され、社長に就任することになった。40歳を過ぎた年齢で、いつかその日が来るとわかっていても、ずっと先だろうと想像していた。けれど突然そういう事態になり、重責に迷いがあるなど甘い考えより、優先すべきことがあった。こうして代表に就任するのである。引き継ぐのは、会社という事業だけでなく、組織全体である。先代からの役員や新入社員などの人材という財産も会社の商品や、歴史、伝統とともに受け継いだ。

歴史や伝統、もちろん商品づくりも人との関わりから生まれる。さらに、受け継いだもう1つの貴重な財産は、経営理念。会社はなんのためにあるのか、経営はなんのためか。経営理念に沿って経営すると、人材が育ち、商品が育つ。わたしが引き継いだ多くの中で、一番の財産はこれらを生みだす哲学だった。会社を引き継ぎ、多忙な日々にあって、そのあいまに歴代社長たちー祖父・傳六や、父・傳四郎に思いをはせることがあった。

突然、その日がやってきた。

鈴木傳六氏は会社の代表であり、また政治家だった。昭和20年代に市会議員を1期、そのあと県会議員を4期務め、議員として地域のために奔走した。晩年、会長職になってからは、俳句を詠み、俳画を描き、風流な文化人としての活動に力を注いだ。また、亡くなるまでの約10年は、銅像やレリーフなどの造形物を作家に創作してもらって、各地に寄贈することに専念した。最初は県の体育館に一般的なレリーフを寄贈した。また、交通安全のお地蔵様を創作し、台座の裏にはひそかに「山形の人々が皆幸せになるように」と文字を残した。俳句に親しむようになって創作した、俳聖・芭蕉の像を山形市の山寺に寄進した。のちに2代目傳四郎社長が曾良の像を芭蕉に寄りそうようにと寄贈。「おくのほそ道」への長い旅をおともした愛弟子・曾良である。こうして、傳六初代社長は、次第にユニークなものを作るようになった。蔵王スキー場のシュプールにも奇抜な像を寄贈。中でも北海道の別海町に寄贈した「北方領土返還の叫びの像」は、北方領土から引き揚げてきたおばあちゃん、息子、孫の3世代が、海の向こうにある国後島に向かって叫ぶ姿だ。鈴木傳六氏は山形県だけにこだわらず、民衆の願いをうけとめ、形にする慈愛ある人だった。

ふるさと、山形の名所、最上義光公の騎馬隊

傳六氏の郷土愛をこめた活動が際立つのは、山形の城跡、霞城公園に寄贈した最上義光像である。天下分け目といわれた関ヶ原の合戦の火種になった上杉軍との戦い。その功績から57万石の大名になった義光公がその戦いに出陣する様を描いた像がある。二本足で立つ騎馬像の姿はいかにも勇ましい。30年以上たった今、この公園の像は山形の観光名所になっている。社長が高校生から社会人になるまでの約10年の間、傳六氏は亡くなる直前までこの活動を続けた。隆一社長は長く活動の意味がわからなかった。傳六元社長には事業の成功は、地元の人たちの支援があったからこそ、という思いがあり、その恩返しがしたかったと人づてに聞いた。その思いをカタチにするため、私財をつぎ込み制作したライフワークである。彫刻や像を作り、観光や街のシンボルになるものをと活動に没頭した。
往年に傳六氏が熱意をこめて打ち込んだ活動から30年以上の年月を経て、最上義光公が再評価されている。没後400年を数える今年、山形の人たちが郷土を知り、誇りをもっていただくきっかけになれば、祖父も喜んでくれるだろう、隆一社長が顔いっぱいの笑顔で答えてくれた。

突然、その日がやってきた。

会社の地域貢献を考えるとき、今もまっさきにこの傳六氏の活動を思い出す。そうして考えてみると、議員時代のさまざまな活動も、こうした地域活動の一環だったと理解できる。その跡を継いだ父・傳四郎社長も、地域貢献に熱心で、業界組合の理事長や商工会議所の会頭を務め、地域に役立つ活動には積極的だった。隆一社長は、そうした活動を引き継ぐことに違和感がなく、先代から続けている「自衛消防連絡協議会」では事業所の防火や避難訓練をしており、消防組織の会頭も傳六社長時代から続いている。3代続けている活動はほかにもいろいろあるが、こうした活動は会社の仕事と同じくらい重要との考えだ。社会からでん六が期待されているのだから、それに応えることは仕事の一部であり、また自分自身の励みでもある、と語る。

2代目社長の傳四郎氏は、決断の早い経営者だった。Jリーグのモンテディオ山形が正会員を募集すると聞くと、ただちに運営するスポーツ山形21世紀協会に申し込んだ。正会員第一号である。そのおかげで山形に数ある企業の中で、今も一番目に社名が掲載されている。それが縁でモンテディオ山形のユニフォームの公式スポンサーを長年することになり、ユニフォームにはでん六のロゴマークが入っている。また、スポンサー代表でセレモニー等でも挨拶をつとめる。そういう活動も、隆一社長は実に楽しそうだ。飾りも虚飾もなく、ごく自然な語り口には、真っ正直な生き方があふれ出ている。筆者はいつしか仕事を超えて、鈴木社長の話しに惹きこまれていた。

食育よりもまず落花生に感謝

蔵王のふもとに広大な敷地の工場がある。でん六の2代目社長、鈴木傳四郎氏が作った「でん六蔵王の森工場」だ。26,000坪の敷地に超モダンな工場の建物が蔵王を借景に広がる。その中心には芝生がどこまでも続き、雪の季節をのぞき、年中色とりどりの花が咲き乱れる花壇がある。傳四郎社長は工場と一緒にこの花壇を作った。その少し離れたところに、隆一社長が作った落花生の畑がある。敷地があまりに広いため、少し離れると箱庭のように見えるが、堂々、200坪の広々とした落花生畑だ。落花生はでん六がお世話になっている原材料。落花生がなければ商品が作れないのだから、落花生に感謝をしなくてはいけない。また、そういう商品を扱うのだから、落花生を学んでほしい。研究開発する人や商品製造に関わる人たちは、資料や本の知識で落花生を知っていても、落花生の生態にふれたことがない。会社で働く人たちがまず落花生に関心をもち、感謝の気持ちをもって仕事をしてもらえたら、という気持ちでこの畑を作った。

落花生

落花生収穫祭

落花生収穫祭

落花生の黄色い花が咲き、蔓が地面に垂れて、地中で実が大きくなる。生育がよく、いい落花生ができるようになり、収穫の時に子供たちを招くようになった。会社の誰が言い出したわけでなく、毎年恒例の落花生収穫祭に進化した。保育園の園児たちが手をつないで、長ぐつ姿でやってくる。それだけで可愛らしく、見るだけで楽しい。けれど、畑にはいって落花生を抜くと、「わー」と歓声があがる。毎年この光景が好きで、会社の人たちも格別楽しみにしている。そうして収穫に参加したあとは、落花生をみんなで試食する。近頃は収穫祭の参加だけでなく、「豆まき」と呼ぶ種まきの行事にも子供たちが参加している。食育というより、落花生のつながりである。「この一連の活動を一番楽しんでいるのはわたしかもしれない」。隆一社長がやさしいまなざしを向ける。「子供たちの幸せな姿を見ると、明日もがんばろうと活力が湧いてくる」。隆一社長は心に響く出来事があると、朝礼で会社の人たちと感激を共有し、また社内のオンライン掲示板に書き込みをする。社長になって約10年、週に2回~3回は掲示板に書き込み、うれしいこと、感じたことを社内のみなさんに共有していただく。社長が心から社長業を楽しんでいることがうかがえる。

世界の原産地の付き合いもやさしい繋がり

食品メーカーは安心、安全、加えておいしい食材でなくてはならない。3つの要素はわが社の経営理念の基本だ。安心、そして安全であること。食品会社は、お客様に信頼いただくことが最重要課題である。基本に忠実にという点では、豆菓子業界では先陣を切っていると評価されるが、どれほど慎重を期しても完璧なシステムは難しい。どこまでも《人にやさしい食品づくり》のフィロソフィを守り続ける。元来、落花生は油分が多く、しばらく放置すると空気中の酸素と落花生の油分が結合して酸化する。かつて、開封すると妙な臭いがするピーナッツがあった。その当時は酸化を防ぐことが第一課題だった。今では品種によって酸化しにくいものがあるとわかった。試行錯誤の研究成果により、念願の課題もほぼ解決するようになった。その理由は、国の輸入制度と深く関わりがある。1990年の半ば、政府の輸入制度が変わり、その時期にでん六では、落花生の輸入にいち早く着手した。メーカーも考えかたを変えるべき時代との判断だった。それから20年を経て、今では中国、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカなどから、商品企画に適合した落花生を輸入している。こうして、でん六のグローバル化の第一歩は原材料から始まった。ただ単に輸入するのではなく、各国の産地に出向き、商品コンセプトや商品特性を理解したうえで、商品にあわせた落花生を栽培していただく。

大粒の落花生は、フライ加工するバターピーナッツの原材料。小粒は「でん六豆」や「ピーナッツチョコ」のように衣をかぶせた商品になる。原産地とのかけがえのないつながりで、商品性にあわせた原材料を企画段階から協力してもらって、必要な原材料をご提供いただいている。社長の満足気な表情が印象に残る。

日本の輸入規制の厳しさは海外にも知られている。とりわけ残留農薬の規制は特別厳しい。でん六では、その国の輸入規制を上回る規制をもうけて、海外の産地に原材料を作ってもらっている。それが品質管理であり、おいしい商品づくりの基本だという。また、同時においしさを数値化し、その数字にあう原材料を輸入する徹底ぶりだ。

落花生畑

おいしさを求めて品質を数値化するオリジナル食味計開発。

おいしさを求めて品質を数値化するオリジナル食味計開発。

安全面への気配りと並行して、おいしい食品づくりはメーカーの使命である。でん六はおいしい原材料であることを、「落花生食味計」で検査し、ある数値に合格するものだけを輸入している。実はこの食味計は、米のおいしさを数値化する機械があった。それを落花生用に開発し、原材料輸入の品質管理ーつまり、おいしい食品づくりの基準にしている。こうして、安全、安心、おいしさの提供というでん六のフィロソフィがモノづくりに生きている。

時代と共に変貌するおいしさの基準

鈴木隆一社長には、誇張や自らを飾ることがない。基本を曲げず、シンプルで明快だ。お客様の求める商品を作ることに専念する。品質のよい原材料の追及は、安全・安心、そして「おいしい食品」を安定してご提供するため。お客様の味覚の好みはまた、時代とともに変貌する。甘いものが喜ばれた時代、甘いものを敬遠した時代、また、今はくどい甘さではなく、あっさりとまろやかな味覚が好まれる。加えて、おいしいと感じるのは、食べる量とのバランスでもある。近頃は「おいしい」を感じるポイントはほんの少し食べるところにあるという。でん六の主力商品は、少量パックである。同時に求められる商品は、味だけでなく、社会的な付加価値にニーズがあると感じる。エコロジーが必要となれば、配送のエネルギーを減らす努力をする。また、パッケージの環境負荷を減らそうと素材に配慮した。そんな時期に、最先端の環境制度、CFPにめぐりあう。

でん豆

山形人のねばり強さで、CFPに挑んだ日々

CFP認定に取り組んだ担当責任者のバックグラウンド・ストーリー 常務取締役/営業本部長:小池二三さん

あらためて努力、達成のすばらしさを再認識した、CFP認定へのチャレンジ。広くCFP認知度アップを願いたい!

あるとき、メーカーの業界組合でカーボンフットプリントという環境制度を知り、勉強会に参加した。流通菓子のメーカーや、組合の加盟会社もすでにCFPに
着手しはじめていると知った。でん六もやってみようかと思い始めたまさにその時期に、あるコンサルティング会社からCFP制度の提案があった。CFPの取り組
みを決めてからは、迅速だった。内部と外部が1つになって取り組んでいく。まとめ役は、現在は常務取締役で営業本部長の小池二三さんが、取締役マーケテ
ィング本部長時代に統括した。試行錯誤の結果、比較的スムースにCFPの認定がとれて、でん六にCFPマークのはいった商品が誕生した。

ポリッピー

―CFPの取り組みをご担当になったときは?
突然のCFPへチャレンジする話が、鈴木社長よりありました。誰もCFPが「何なのか?」も全く理解していない中で、各部署より4名のメンバーを集め、CFPプロジェクトチームを作り、勉強しながらスタートしました。
―CFP認定のご担当としてのご感想は?
新しい取り組みにチャレンジする中で、達成するべき目標を持ち、努力する事がいかに素晴しい事であるか?を、改めて学び、そしてCFP認定への評価を得ることが出来た事に対して、社長はじめ、協力して頂いた取引先やプロジェクトメンバーに感謝しております。
―でん六さんは、スピードCFP認定だったと聞いていますが…
経産省の試行事業により年末のエコプロダクツへの出品が条件である為に、実質的に行動出来る時間は、3ヶ月を切っており、コンサルティングを受けながら、勉強とデータ収集、取引先外部への協力依頼等「本当にCFP認定を受ける事が可能なのか?」との思いを封印して、取り組みを進めました。(このチャレンジが、社会的に価値のある事なのか?との思いもあった様に思います)
―CFPへのご期待は?
今後は、もっとCFPが一般的に認知される事を願っております。

CFP商品の反響、市場の反応

CFPの認定がとれたのは、経産省の試行事業の最終年、2010年の年末である。おりしもエコプロダクツに出展している最中だった。そこでせっかく認定がとれたのだから、商品を発売しようということになった。年末年始といえばでん六は節分の「福豆」の出荷で一番忙しい時期。けれど、認定におけるいろいろな方々の努力を早く結実したかった。ここでもねばり強いチーム力を生かして、超スピードで発売準備し、2月にCFPマークのついたポリッピーを発売した。

商品が店頭に並ぶと、いろいろな反響が寄せられた。CFPマークの商品は、東北初とか業界初などと言われたが、でん六はほかの会社に遅れないようにと認定に取り組んだところ、他社より早く認定がおりた。業界団体でも、でん六はすごいことをやったと評価いただいたが、これは山形県人のねばり強い気質が集中力を高め、社内・社外が一丸となって取り組むことができたからだと、語る社長の表情には喜びの心情があらわれていた。

認定後の震災、ムードが一変
CFPの認定がスムースだったこともあり、次に認定をとる商品も決めていた。営業先ではCFPマークを知らないバイヤーもあったが、中には「でん六さんはCFP商品ができて、すごいね」と褒めていただいたことも、次へ進む気持ちにつながっていた。ポリッピーで認定を取ったのは、この商品はでん六の商品でも認知度が高く、さらに付加価値のある商品にしたいと思ったからだ。そこで別の商品も認定を取ろうと思った矢先、東日本大震災があった。環境問題よりも優先すべきことが次々と出てきた。そういった理由でCFP・第二弾の取り組みは中断しているが、現在は冷静にCFPの推移を見守っている。世の中の流れがCFPなど環境事業にシフトし、社会ニーズ、消費者の関心が高まり、CFP商品の価値が高まれば、バイヤーも興味を持ってくれるだろう。そうなればでん六は自信を持って第二弾、第三弾のCFP商品に取り組んでみたい。メーカーだけが頑張っても、消費者の方たちの関心が集まらないと力が入らない。企業は時代にあわせていろいろな環境努力をしなくてはならない。その意味ででん六がやりたいことは数多くあるけれど、同時にやったことを知っていただく努力も必要だ。そういう総合的な取り組みこそ、エコロジーだと考えている。
人との交流、エコロジーの心
エコロジーを追及するのではなく、お客様や地域の人たちとの交流から得たものを追及する間に、自然体でエコロジーに結びついたのである。例えば傳四郎社長が作った「蔵王の森工場」の広大な敷地に作った花壇がある。壮大な蔵王が見下ろす場所にある工場は、景観を損なうものあってはならない、という信念だという。工場に入ると華やかな表情の花々が出迎えてくれる。傳四郎社長は鮮やかな色彩が好きで、こだわって色彩を選んだ。背後にそびえる蔵王にフィットするコントラストを考えた設計である。この考え方は、初代傳六社長がリタイア後にこだわった地域貢献と同じく、先代社長の地域愛であり、その先にはでん六モデルのエコロジーがある。3代目の現社長にも、その心は脈々と受け継がれている。

eco moyo

野生のカモシカが遊びに来る、「豆山」の小自然

蔵王の森工場には、小さな山がある。小高い丘くらいの大きさで、「豆山」と呼ばれる。敷地のすぐ外に「白山神社」があり、参道が蔵王の森工場の豆山につないでいる。豆山のふもとには初代傳六社長が作った福寿観音像。背景に大きくそびえる蔵王に映える。工場の敷地にある小自然だ。たまたま野生のカモシカが遊びに来たことがある。工場見学の方々にも好評な豆山は、花壇づくりに熱心だった先代社長の時代に、でん六のカレンダーに花壇とともに登場したこともあり、地元では親しまれる存在だ。会社で広報活動して知られるようになったわけではなく、地域住民とのコミュニケーションで徐々に知られるようになった。人との関わりから生まれたでん六のエコロジーは、自然体のやさしいつながりだった。

落花生の加工でできる副産物を飼料や肥料にリサイクル。

自然の恵みが生む落花生を加工して多様な商品ができる。その過程でできる副産物、汚泥やピーナッツの薄皮は、専門の人たちの手を通じてリサイクルの肥料や畜産の肥料になる。土から生まれた落花生を土に還す試みには、でん六のエコロジー思想が実践的に生かされている。ピーナッツの薄皮は、栄養豊富でとてもいい飼料になるそうだ。こうしてできる資料は、蔵王の森工場を飾る広大な花壇や落花生栽培に生かされている。色とりどりの花々には、海を越えてやってくる落花生への暖かい気持ちがこめられている。

エコロジー

〈ブナの森〉の神聖な空間、エコロジーのある風景

山形県の自然とエコロジーが結びつくようなことをしたい、鈴木社長はいろいろなエコロジー活動にも積極的だ。山形県倫理法人会が山形県内のブナの森で「ぶな文化フォーラム」を開催している。毎年、新緑の頃に専門家の話しを聞き、ブナの森を散策する。森の中に足を入れると絨毯の上を歩くようにふわふわした感触、と鈴木社長。木々が生い茂った森は、雨が降っても濡れないほどの密集度で傘の代わりをしてくれる。ブナの太い幹に水が集まり、幹の表面を「ざー」音を立てて幹の表面を伝って流れるのは圧巻だ。その水は透明度が高く、雨水と思えないほど美しい。こういう光景に出あう時、ふるさと、山形へのやさしい心が芽生える。

山形県菓子工業組合は「銘菓奉献祭」という長年続く行事がある。お菓子メーカーの代表者は、聖地、羽黒山のふもと、出羽三山神社に奉納、ご祈祷する。その行き帰りにブナの森を眺めるのがこの行事の楽しみ、とほほえむ鈴木社長。自然にふれる、親しむ、とりわけブナの森のすばらしさを知っていただきたい。そういう気持ちから、2012年に「でん六×クアオルト~コラボウォーキングin蔵王高原」を開催した。クアオルトはドイツ語で健康保養地のこと。温泉や気候、海や山など自然の力で予防や治療をする地域のこと。本格的なドイツのクアオルトは、州が認定をした病院や治療施設、交流施設での滞在プログラムで、医師の処方があればクアオルトの治療は保険の対象にもなるそうだ。

エコロジー

エコロジー

でん六のコラボ・イベント、蔵王高原のクアオルト・ウォーキング

でん六のコラボは上山市、上山市温泉クアオルト協賛会が主催、また全国健康保険協会山形支部、一般社団法人山形県社会保険協会が協賛するイベントに、でん六がコラボ参加したというもの。でん六からはゲストの社長ほか、社員70名が参加した。9月は残暑で夏のような気候でも、標高1,000mの蔵王高原では涼風が清々しい。専門の先生と一緒に美しい景観に囲まれたウォーキングを満喫した。2013年もこのようなコラボの企画をぜひと考えている。社会活動やエコロジー活動は、こんな風に楽しみながらできる活動をめざしてみたい。

温暖化対策は、省エネ・節電をテーマに

全国にも有名な蔵王の樹氷は、アオモリトドマツが雪と氷に覆われて巨大化し、「アイスモンスター」と呼ばれる自然現象。樹木が完全に樹氷や雪で覆われ、幻想的な自然の造形美となる。山形で開催される国体は、「やまがた樹氷国体」と名付けている。このように樹氷は山形の自然の豊かさをあらわしている。この蔵王の樹氷も、温暖化の影響が懸念されている。
山形大学環境化学が専門の柳沢文孝教授は、このまま温暖化が進めば40年後に蔵王の樹氷は姿を消す可能性がある、と警告している。

温暖化対策は、省エネ・節電をテーマに

でん六の蔵王の森工場から双眼鏡で蔵王の樹氷が見える。この蔵王光景が将来見えなくなる可能性があると知り、社長は危機的に感じている。環境問題で最大の関心事は、温暖化問題である。2011年の震災があった夏、電力消費大口事業会社のでん六に、東北電力からグループで15%削減するようにと要請があった。業種の異なる企業とグループ化するのもむずかしく、工場の稼働を週末とウィークデーのバランスをとる必要が生じた。週末に工場を稼働すると、社員の人たちの週末の予定があわず、ほかにもいろいろな悩みもあった。そこででん六の工場は土曜出勤の日曜休み、逆にグループの自動車製造会社は、日曜日に出勤というやりとりをして、なんとか15%を達成することができた。この時の経験から温暖化問題において、とりわけエネルギー問題、節電が緊急課題と認識している。樹氷への懸念もあり、でん六の工場では温暖化対策として、節電をテーマに考えている。

エコロジー

エコロジーがおりなす、自然豊かな山形の新しい価値

環境活動を思う時、温暖化対策や環境制度の重要性はもちろんだが、前提となるのは山形という地域にある会社として、豊かな自然を大切にしたいという思いだ。会社には必要に迫られてする活動がある。あるいは、どうしてもしなくてはいけない、というわけではないけれど、活動することで新しい価値が生まれることもある。でん六のエコロジーの原点だ。なにか活動していればいいというのでは、人のエネルギーや思いが惜しい。かけがえのない活動を共感しながら、体験を通じて新しい価値観が生まれることを願いたい。

マメに生きる

企画開発部商品企画課は、商品企画やパッケージ企画、広報、宣伝などがおもな業務。うちの部では週に2回、でん六のトップ経営者とミーティングの機会がある。これほどまじめに経営者が企画部のプレゼンテーションを聞いてくれる会社はめったにないだろうと、ありがたく思う。こうした場では社長は個人的な意見を控えているそうだ。社員に影響を与えず、自由な発想で発案してもらいたい、という配慮である。
小池常務をリーダーに、社内ブランディング・プロジェクトメンバーが2013年のでん六は〈マメに生きる〉というビジョンを打ち出した。社長の発案「豆を知って喜びに生きる」をブラッシュアップし、進化させた。わが社は年末のごあいさつは「みなさま、来年も豆でお達者に、みなさま、ますますお元気で」と山形ではだれもが言う挨拶も、会社の宣伝のようで気恥ずかしい。いつまでも元気で健康でありますようにという思いで、このコンセプトを2013年の1月1日の山形新聞に掲載した。
でんちゃんのTVCMや、節分のキャンペーンでは「福豆」と一緒に鬼の面をいろんなバージョンで毎年発表している。

ecomoyoは独創的な視点で環境活動しておられる方々に焦点をあて、できる限り多様な表現でご紹介するWebメディアです。企業の経営陣の環境哲学、また活動をとおして自然と人間社会のありかたを文字情報で掘り下げていくことはもちろん、ビジュアル・アートや音楽、エッセイなど表情豊かな作品の力で自然環境という壮大なテーマを多くの人たちと模様を描いていくことを願っています。2013年春号では、キューバのエコロジー・アーティストLazaro Cano(ラザーロ・カーノ)を取り上げ、アクティブでメッセージ性の高い作品をご紹介しています。地球の美しさ、地球に生きる人、植物や動物がひとしく自然から享受する生命という財産を分かちあうことを訴えて、さまざまな素材に命を吹き込むように、斬新なアイデアの作品を作り出しています。ラザーロの生き方はecomoyoそのものであり、彼のフィロソフィを日本の皆様にご理解いただき、多くの人たちとこの考え方を共有いただけたら幸いです。
皆様がたのご意見、ご感想、アイデアやecomoyoへのご投稿、作品のご提供をお待ちしています。お問い合わせは、ecomoyo編集部までお願いします

でん六のecomoyoは落花生という身近な自然素材が商品になるにも、いろいろな環境問題が潜んでいることが印象に残る。全国に知られる樹氷が将来見えなくなるかと、温暖化に警鐘を鳴らす鈴木社長の思いをecomoyoはしっかりと受け止めたい。歴代の社長同様に鈴木社長は地域の関わりを何よりも大切にしていることが、言葉にあらわれていた。そこには伝統文化と離れ離れの都市生活が置き忘れたやさしい関わりが生きていた。小さなNIPPON、ハイテク大国NIPPONといわれる日本にあって、このなだらかな地域文化にこそ、国際的に絶賛されるクールジャパンの本質がある。地域力を生かしたecomoyoに期待したい。

Art Direction
k-to-k
Web Design
Yusuke Yanagi
Photograph
Yasuro Ide
Editorial
Baobab
Art Coordinate
Lazaro Cano

ecomoyoは独創的な視点で環境活動をしておられる方々に焦点をあて、できる限り多様な表現でご紹介するメディアです。企業の方々の環境哲学、活動をとおして自然と人間社会のありかたを文字情報で掘り下げるのはもちろん、ビジュアル・アートや音楽、エッセーなど、表現豊かな作品の力で、自然環境という壮大なテーマを多くの人たちと模様を描いくwebマガジンです。スペイン在住のエコロジー・アーティスト、Lazaro Canoさん、またアマチュア登山人、フォトグラファーの柳悠介さんのご協力で、いろいろな作品を掲載することができました。

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